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  • 日本史新発見 ~あの出来事の最新事情~

第6回

日本初の鉄道は海の上を走っていた!?

2019年4月、JR東日本が品川駅の改良工事をしているとき、地中から立派な石垣が顔を出しました。この石垣は、すでに取り壊されたと考えられていた「高輪築堤」の一部だったのです。

実はこれ、東京湾の海の中に土砂を盛って造られた近代の鉄道遺構なのです。台形の堤を築き、その両脇を石垣で補強したもので、幅6.4メートルの盛り土の真ん中にはかつてレールが敷かれていました。

建設は大隈重信の主導の下、民部省鉄道掛が進めましたが、工事を指揮したのは鉄道技術者の英国人、エドモンド・モレルでした。建設費も主に英国からの外債で調達し、汽車も英国製でした。またレール幅も英国の規格に合わせましたが、英国本国のものではなく植民地用の狭いゲージ(軌間)だったので、日本の鉄道のレール幅は欧米よりも狭くなったのでした。

高輪築堤は明治3年(1870年)から着工され、約2.7キロにわたって海の浅瀬に築かれました。一度埋め立てた土砂が波に流されて築堤が崩壊するなど大変な工事となったそうです。なぜ陸に線路を敷かなかったのか。その理由は、鉄道が通るルート上には兵部省の所有地があり、「軍事を優先させるべき」と考えた西郷隆盛らが土地の引き渡しに難色を示したからでした。つまり仕方なく高輪築堤を造ったわけです。そして、明治5年(1872年)、新橋~横浜間に日本初の鉄道が開通しました。海に築かれた石垣の上を、煙を上げながら走る汽車の姿は美しく、錦絵としても人気を博しました。築堤は明治末まで使用されましたが、東京湾の埋め立てが進むと陸地に取り込まれ、やがて姿を消してしまいました。

高輪築堤は、JR高輪ゲートウェイ駅近くの再開発地区で発見され、長さ約1.3キロ分が確認されています。この地域には高層ビルが建設される予定でしたが、考古学界が強く現状保存を求め、築堤を視察した文部科学大臣も「貴重な文化遺産を現地で保存・公開できるように検討したい」と述べたことで、JR東日本は一部保存を決定しました。近代遺産として極めて貴重なものなので、私としては、全ての遺構を保存し後世に伝えるべきだと考えています。

筆者紹介

河合 敦 氏

Atsushi Kawai

歴史作家・歴史研究家。多摩大学客員教授。早稲田大学非常勤講師。『歴史探偵』(NHK総合)などテレビ出演多数。歴史の意外なエピソードの紹介や分かりやすい解説に定評がある。著書に『渋沢栄一と岩崎弥太郎』『最強の教訓!日本史』『最新の日本史』など。

河合 敦

ちょこっと旅ガイド

【高輪築堤跡】 東京都港区高輪 JR山手線・京浜東北線 高輪ゲートウェイ駅から徒歩5分

高輪築堤跡は再開発エリアの中にあるため一般公開されていないが、2021年1月と4月に見学会が開催され多くの参加者が集まった。この付近には東海道から江戸府内の入り口として設けられた「高輪大木戸」の跡も残されており、昔から交通の要所だったことがうかがえる。

高輪築堤跡

※ 記事中のデータ、人物の所属・役職などは、記事掲載当時のものです。

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